夜の環状線を走るヘッドライトの群れ――その先頭に立っていたのが、ホンダ・シビックでした。
軽くて速い、そして誰でも手に入れられる。
そんな“身近な最速”が、かつての走り屋たちの心を掴んだのです。
とくに90年代、環状線を主戦場とした“環状族”の間では、シビックは「最速FF」として一時代を築きました。
しかし令和の今、あの頃のような走り屋の姿はほとんど見られません。
取り締まりの強化、社会の変化、そして車文化の成熟化――さまざまな理由が、かつての熱狂を過去へと押し流していきました。
それでもなお、シビックという車名には“走り”のDNAが脈打ち続けています。
この記事では、なぜ走り屋がシビックを選び、なぜ環状線で“最速”と呼ばれたのか。
そしてその魂が令和の今、どのように受け継がれているのかを解説します。
※本記事は、かつて存在した“走り屋文化”や環状線での出来事を、歴史・文化的な観点から紹介するものであり、法令に反する行為や危険運転を推奨・助長する意図は一切ありません。
ホンダ・シビックはなぜ走り屋に選ばれたのか?
ホンダ・シビックが“走り屋の代名詞”と呼ばれた理由には、単なる速さ以上の魅力がありました。
軽量ボディ、高回転型VTECエンジン、扱いやすいFF駆動――環状線を駆け抜けるために生まれたような性能が、当時の若者たちを惹きつけたのです。
環状線を席巻した“環状族”とシビックの関係

軽量ボディと瞬発力が環状線に最適だった
大阪の環状線は、複雑な合流と連続カーブが多く、直線スピードよりも加減速の速さと安定性が求められるコースでした。
ホンダ・シビックはその条件にぴったり合致していたのです。1トン前後という軽量ボディに、VTECエンジンの高回転フィール。
これにより「軽くて速い」「小さくても曲がる」車として、走り屋たちに圧倒的な支持を得ました。
以下のように、環状線での“勝てる条件”をすべて満たしていたのがシビックでした。
| 特徴 | シビックの強み | 環状線での利点 | 
|---|---|---|
| 車重 | 約1,050kg前後 | コーナーでの応答が鋭く、ブレーキングが安定 | 
| エンジン | VTEC(高回転型NA) | 立ち上がり加速が鋭く、直線も速い | 
| 駆動方式 | FF(前輪駆動) | 雨でも安定し、スピンリスクが低い | 
| 車体サイズ | コンパクト | 合流や車線変更がしやすく、交通量の多い環状線で有利 | 
こうしたスペックのバランスが、「なぜ環状族にシビックが多かったのか?」という疑問への答えといえます。
“腕で勝てる”走り屋たちの象徴
環状線の走り屋たちは、単に馬力で勝つよりも、自分のテクニックで速さを証明することを誇りとしていました。
シビックは軽量FFという特性上、ドライバーの操作がタイムに直結します。
つまり、**「腕が良ければ勝てる車」**だったのです。
当時の走り屋にとって、シビックを選ぶ理由は次の3点に集約されます。
- 大排気量車を“技術”で抜ける楽しさ
 - 改造しやすく、手を加えるほど速くなる“育てる車”であること
 - 誰でも手に入れやすい価格帯で、走りの世界に挑戦できること
 
VTECが切り替わる瞬間の高音サウンドは、まるで「ここからが勝負だ」と告げる合図のように、環状線の夜空に響き渡りました。
環状族の象徴として語り継がれる存在
雑誌『オプション』や走り屋向けビデオシリーズで取り上げられたこともあり、シビックは“環状族の象徴”として全国に名を広めました。
EG6やEK9型は「環状最速FF」として特集され、やがてシビックは走り屋文化そのものの象徴に。
- 「環状線で一番多かったのはシビック」
 - 「EG6を抜けたら一人前」
 - 「FFでFRに勝つのが粋」
 
こうした言葉が当時の走り屋たちの間で語り継がれました。
今では旧車イベントやSNSでも“環状仕様シビック”が再現され、かつての熱気が再び注目を集めています。
走り屋文化が薄れた令和でも、シビックはなお“環状線の伝説”として語り継がれているのです。
軽量・高回転・改造しやすさ ― シビックの“走り屋的資質”

VTECエンジンが生んだ“回して速い”快感
シビックが走り屋の心を掴んだ最大の理由は、ホンダ独自のVTECエンジンにありました。
高回転になるほどバルブ制御が切り替わり、エンジンの性格が一変する――まるで「二段変速ターボ」のようなフィーリングです。
B16AやB18CといったVTECユニットは、6000rpmを超えたあたりから豹変し、NAながらターボ車をも追い抜く加速を見せました。
これに軽量ボディが組み合わさることで、環状線の合流や立ち上がり区間では圧倒的な瞬発力を発揮。
しかもFF(前輪駆動)による安定感で、多少パワーを上げても破綻しにくく、ドライバーの腕をそのまま速さに変えられる特性が人気を呼びました。
| 要素 | シビックの特徴 | 走り屋が評価した理由 | 
|---|---|---|
| エンジン | VTEC搭載・高回転型NA | 6000rpm以降で爆発的に伸びる加速感 | 
| 車重 | 約1,050kg前後 | 軽くてレスポンスが良く、ブレーキングも安定 | 
| 駆動方式 | FF | コントロールしやすく、雨天でも安定 | 
| エンジンサウンド | 高音VTECサウンド | 高回転域の音が「速さの証」として人気 | 
走り屋たちにとって、この「回して速い」という感覚こそが中毒性の源でした。
排気量や馬力よりも、自分の右足で引き出す速さこそが誇りだったのです。
改造しやすく“育てる楽しさ”があった
シビックはノーマル状態でも十分速い一方、チューニングの自由度が非常に高く、改造することで性能が際立つ車でした。
パーツ供給が豊富で、吸排気からエンジンスワップまで段階的に手を加えられるため、走り屋たちは自分の技術と予算に合わせて“育てる”感覚を楽しんでいました。
代表的なチューニングメニューとしては以下のようなものがあります。
- 吸気系・エアクリーナー交換でレスポンスを向上
 - 等長エキマニ+マフラー交換で高回転域の抜けを改善
 - 車高調でロールを抑え、環状線のカーブを安定化
 - B18Cエンジンへのスワップでパワーアップ
 - ECU書き換え(コンピューター制御)で燃調・点火を最適化
 
これらはすべて「手をかけた分だけ速くなる」実感を伴うもので、まさに走り屋向きの車でした。
しかも、壊れにくく維持費も手頃。
なぜシビックが人気を独占したのか――それは、速さ・楽しさ・コスパのすべてを高次元で満たす**“走り屋のための現実的なスポーツカー”**だったからです。
ライバル車との違いと“下剋上”の魅力

FRスポーツ全盛期に立ち向かったFFシビック
1990年代の走り屋文化では、日産スカイライン、トヨタ・スープラ、マツダRX-7といったFRスポーツが主役でした。
直列6気筒やロータリーエンジンを搭載したこれらの車は、ハイパワーでドリフトも自在。
サーキットや峠でも“本物のスポーツカー”として扱われていました。
しかし、ホンダ・シビックはそれらとはまったく異なるアプローチで存在感を放ちました。
FF(前輪駆動)で軽量、しかもエンジンは1.6〜1.8Lクラス。
スペック上は劣って見えても、コーナーでの旋回速度や立ち上がりの速さで勝負し、“技術で勝つ車”として走り屋たちに選ばれたのです。
| ライバル車 | 駆動方式 | 排気量 | 特徴 | 走り屋の印象 | 
|---|---|---|---|---|
| トヨタ・スープラ | FR | 3.0Lターボ | 直線番長・最高速重視 | 速いが重い、環状線には不向き | 
| 日産・スカイラインGT-R | 4WD | 2.6Lターボ | 高速安定性抜群 | 別格、だが維持費が高い | 
| マツダ・RX-7(FD) | FR | 1.3Lロータリー | 軽量でドリフト性能高 | 玄人向け、繊細なエンジン | 
| ホンダ・シビック(EG/EK) | FF | 1.6L VTEC | 軽量で小回り抜群 | 技術で勝てる“下剋上”マシン | 
この表の通り、シビックは排気量でも駆動方式でも劣る存在でしたが、環状線という限られた舞台ではその軽さと回頭性が圧倒的な武器となりました。
下剋上こそ走り屋の誇り
シビックのオーナーたちが目指したのは、単に速い車を持つことではありません。
大排気量のスカイラインやスープラを、1.6LのFFで追い抜く――それこそが走り屋にとっての**“下剋上”の美学**でした。
環状線の直線でGT-Rに迫り、コーナーでRX-7を抜く。
そんな光景は当時の走り屋にとって最高の勲章です。
彼らは車そのものよりも「腕で勝つ」ことに価値を見出し、シビックというツールで自らの技術を証明していたのです。
またシビックは維持費が安く、改造コストも抑えられるため、若い世代が挑戦しやすい点も魅力でした。
高価なターボ車に対して「安くて軽くて曲がるFF」で勝つ――その構図は、まさに走り屋文化を象徴するものでした。
今でこそFRスポーツが再評価されていますが、当時の走り屋たちにとってシビックは“努力と技術で勝ち取る速さ”の象徴でした。
馬力ではなく、ドライバーの感性と反射神経で戦う車。
それがホンダ・シビックの真の魅力であり、環状線における“下剋上の伝説”を生み出した理由なのです。
“おっさん世代”が語る旧車としてのシビック
あの頃の熱気を今に伝える“おっさん世代”の誇り
環状線を駆け抜けたあの時代から、すでに30年近くが経ちました。
かつて夜を支配した走り屋たちは今や40代、50代となり、“おっさん世代”として当時を懐かしむ存在に。
SNSや旧車イベントでは「昔はEG6で環状線を走ってた」「VTECが入る瞬間がたまらなかった」といった声が数多く見られます。
彼らにとってシビックは単なる車ではなく、若さと情熱の象徴でした。無我夢中でチューニングし、仲間と語り、時に競い合ったあの頃――その思い出が、今もエンジン音とともに心に刻まれているのです。
“旧車”として蘇る環状族シビック
かつて走り屋たちが乗っていたEG6やEK9型のシビックは、いまや立派な旧車として扱われています。
中古市場では状態の良い個体が高騰し、30年前の車にもかかわらず300万円以上の値がつくことも珍しくありません。
当時の走り屋たちは今、時間と余裕を手に入れたことで再び手元にシビックを迎え、レストアやチューニングを楽しむようになりました。
彼らが求めるのは最新の速さではなく、“当時の音・匂い・感触”という記憶の再生です。
また、当時と異なるのは楽しみ方の方向性です。
かつての“環状族仕様”を再現する人もいれば、ローライダー風のエアサス仕様で「魅せるシビック」に仕上げるオーナーもいます。
かつて“走るための車”だったシビックが、今では“人生を語る車”へと変化しているのです。
熱狂の記憶を受け継ぐ新しい文化
環状族と呼ばれた文化は、取り締まりや社会変化によって姿を消しました。
しかし、その精神――“車を操る喜び”や“仲間と競う熱”は確かに生き続けています。
YouTubeでは当時の環状族スタイルを再現する動画が人気を集め、旧車イベントではVTECサウンドが再び夜空に響きます。
おっさん世代が語る「シビックの時代」は、決して過去の懐古ではなく、令和の車好きにも伝わる物語。
今の若い世代がカスタムや旧車文化に惹かれるのも、彼らの情熱が脈々と受け継がれている証拠です。
かつて環状線を駆け抜けた走り屋たちは、今日も言うでしょう――
「やっぱり、あの頃のシビックが一番だった」と。
シビックの現在 令和の今“走り屋”が見えなくなった理由
かつて環状線を駆け抜けた走り屋たちの姿は、令和の今ではほとんど見られなくなりました。
取り締まりの強化や社会の変化、そして車そのものの進化――それらが重なり、かつての“夜の主役”たちは静かに姿を消していったのです。
ではなぜ走り屋は見えなくなり、シビックはどのように時代とともに姿を変えたのでしょうか。
取り締まりと社会の変化 ― 環状族消滅の背景

交通取り締まりの強化と監視技術の進化
まず大きな転機となったのが、警察による交通取り締まりの徹底です。
2000年代以降、主要都市の環状線や高速道路では監視カメラの設置が進み、深夜の速度超過や危険運転が記録されやすくなりました。
さらに、ナンバー自動認識システムの導入やドライブレコーダーの普及により、以前のように“誰も見ていない場所で速さを競う”ことが難しくなったのです。
一度の暴走行為でも、動画やSNSで拡散され、社会的に非難されるリスクが高まったことも大きな抑止力になりました。
結果として、環状線を舞台にした集団走行は次第に姿を消し、**「公道で走る時代の終わり」**が静かに訪れたのです。
社会の価値観の変化 ― 車文化の成熟化
もう一つの要因は、社会の価値観の変化です。
バブル崩壊後の日本では、車を“自己表現の道具”として楽しむよりも、実用性・安全性・経済性を重視する時代へと変わっていきました。
燃費性能や環境性能が重視され、かつて憧れの対象だった「速い車」は、しだいに現実から離れていったのです。
また、SNSや動画サイトの普及により、スピードを競う場は現実からネット上へと移行。
若い世代は公道ではなく、シミュレーターやレースゲーム、サーキットイベントなどで“走る楽しさ”を求めるようになりました。
こうした変化により、環状族という存在は**「危険な過去」ではなく「時代を象徴した文化」**として語られるようになったのです。
シビックとともに変わる“走り屋”のかたち
環状族が姿を消したあとも、“速く走ることが好き”という情熱そのものは消えていません。
現代の走り屋たちは、シビックType Rなどを使ってサーキットや走行会で安全に腕を競うスタイルへと移行したと考えられます。
つまり、かつて環状線を駆け抜けた精神は、形を変えて生き続けているのです。
「なぜ走り屋を見なくなったのか?」――それは、社会が成熟した証であり、同時に走り屋たちが“新しい舞台”を見つけたからといえるでしょう。
車文化の変化と“走り”の居場所の変化

若者の車離れと変わる価値観
かつては車を所有することが一つのステータスでしたが、平成後期から令和にかけてその価値観は大きく変化しました。
今の若者にとって車は「夢」ではなく「移動の手段」としての側面が強く、車離れが進行しています。
その背景には、燃料費や税金、駐車場代などの維持コストの高さがあり、さらに公共交通やカーシェアの発達が拍車をかけました。
もう一つの要因は、車を“速さで語る”時代が終わりを迎えたことです。
SNSや動画サイトの普及により、スピードを誇ることよりも、安全や快適さ、デザインや環境性能といった“別の価値”が重視されるようになりました。
しかし、こうした変化の中でも「走りを極めたい」「車を操りたい」という本能的な情熱は消えていません。
むしろ、走り屋文化は新しい形で生き残っているのです。
公道からサーキットへ ― 走り屋の“新しい居場所”
令和の時代、速さを求める車好きたちは、公道ではなくサーキットや走行会にその情熱を向けています。
近年は初心者でも参加できる「スポーツ走行デー」や「ワンメイクイベント」が全国で開催され、安全かつ合法的に限界走行を楽しめる環境が整いました。
メーカー側もこの流れを支援しており、ホンダ・シビックType RやトヨタGR86、日産フェアレディZなどは“サーキット対応”を前提とした設計がなされています。
現代の走り屋像は、かつてのような無謀さではなく、技術と知性で走りを楽しむスタイルへと進化しました。
ドリフトや暴走よりも、ライン取りやブレーキングを極める“精密な走り”こそが新時代の美学となっています。
それは単なる趣味ではなく、自己表現であり、仲間と共有する文化でもあります。
令和の車文化の変化を整理すると――
- 公道 → サーキットへ: 安全な環境で速さを追求する時代へ
 - 改造競争 → 技術競争へ: 機械よりもドライバーの腕を磨く文化へ
 - 暴走文化 → イベント文化へ: 仲間と楽しむ健全なモータースポーツへ
 
現行シビックに残る“走りのDNA”
受け継がれた“走りの血統” ― 現行シビックType Rの核心
令和の今も、ホンダ・シビックには確かに走りのDNAが生きています。
その象徴が現行モデルの**シビック Type R(FL5)**。
初代EK9から続くType Rの系譜は、「軽さ」「高回転」「人馬一体」の哲学を守りながら進化を遂げました。
電子制御や安全装備が増えた今も、その根底にある思想は変わりません。
2.0L VTEC TURBOエンジンは最高出力330psを誇りながら、**“人が操る速さ”を重視。
ターボ化してもVTEC特有のリニアな吹け上がりと応答性は健在です。
6速MTの操作感も極めて精密で、シフトフィールは「吸い込まれるよう」と称されるほど。
足回りにはアダプティブ・ダンパーを採用し、柔らかくも鋭く曲がる――まさに“FFで操る喜び”**を体現しています。
現行Type Rは数字ではなく、人と車の一体感を最優先。
ステアリング、ブレーキ、クラッチの全てがドライバーの意図に応えるよう設計され、往年の走り屋も納得する完成度を誇ります。
進化し続ける“走りの遺伝子”
現行シビックは、単なる“速い車”ではなく、走り屋魂を継ぐ存在です。
EK9の軽快さ、FD2の剛性感――それらを現代技術で再構築したのがFL5型。
環境規制が厳しい時代に、ここまで“ピュアスポーツ”を貫くことは異例といえます。
Type Rは「速さの象徴」ではなく、「走る歓びを感じるための道具」として再定義されました。
最新Type Rはサーキットでは鋭く、街中では穏やか。
二面性のある万能な走りが魅力で、若者から往年の環状族世代まで惹きつけています。
令和のType Rにハンドルを握れば、誰もが思うはずです――
「やはりシビックの走りは、生きている」と。
旧車ブームとともに蘇る“走り屋精神”

EG・EKシビックが再評価される理由
近年の旧車ブームの中で、90年代のホンダ・シビック――特にEG6やEK9型――が再び注目を集めています。
その理由は単なる懐古ではなく、現代の車にはない“生のドライビング感覚”にあります。
軽量ボディ、機械的なVTECの切り替わり、高回転を使い切る快感。
電子制御が介入しない、ドライバーの腕と感覚だけで速さを生み出すという特性が、改めて魅力的に映っているのです。
中古市場でもこれらのモデルは高騰し、状態の良い個体は300万円を超えることもあります。
特にEG6のSiR-IIやEK9 Type Rは、**「環状族が駆った伝説の型」**として若い世代からも憧れの対象に。
現行車では味わえない“アナログな速さ”が、今のデジタル世代にとって逆に新鮮に感じられているのです。
旧車ファンが語るシビックの魅力は、おおむね次の3点に集約されます。
- 高回転まで回せるVTECの官能的なサウンド
 - 軽くて思い通りに動く車体バランス
 - チューニングで個性を出せる拡張性
 
環状族仕様の再現とカスタム文化の継承
旧車ブームの熱気は、かつての走り屋文化の“再現”にも波及しています。
YouTubeやSNSでは、当時の環状族仕様を忠実に再現したシビックが数多く登場。
ステッカーやホイール、車高、ボディカラーまで、当時の雰囲気をそのまま蘇らせたカスタムが人気を集めています。
特にEG・EK系のカスタムでは、当時を知る世代が「もう一度、あの頃の自分に戻りたい」という想いで手を入れているケースが多く、そこには単なるファッションではない**“走り屋精神の再生”**。
中には当時の環状族が使っていたチューニングショップが再び注目され、オリジナルパーツを復刻する動きもあります。
こうした現象は、文化の懐古ではなく“伝承”に近いものです。
新しい世代が旧車を通して「車を操る喜び」を知り、旧世代は「再び走る意味」を見出す――。
その循環こそ、現代における**シビックの“走り屋的遺伝子”**の証です。
環状線を駆けたあの時代のスピリットは、今も確かに息づいています。
それは音も、匂いも、鼓動も――決して消えない“走る魂”として、再び街に響き始めているのです。
まとめ:シビックが繋いだ“走り屋の魂”は今も息づく
この記事のポイント
- 1990年代の環状線では、軽量・高回転型のホンダ・シビックが“環状族”に圧倒的な支持を受けた。
 - VTECエンジンの高回転フィールと改造しやすさが、走り屋文化を支えた重要な要素だった。
 - 大排気量FR車(スープラ、RX-7、スカイライン)に挑む“下剋上”こそ、走り屋の誇りだった。
 - 令和の今、走りの舞台は公道からサーキットへ。車文化は成熟し、安全に速さを楽しむ時代へ進化。
 - 現行シビックType Rは、VTECの魂と操る歓びを現代技術で継承する“新世代の走り屋モデル”。
 - 旧車ブームの中でEG・EK系シビックが再評価され、当時の“環状族仕様”が再現されている。
 - シビックという車は、過去・現在・未来を繋ぐ“走りの象徴”として今も多くのファンを魅了している。
 
かつて環状線を駆け抜けた走り屋たちの情熱は、時代が変わっても消えることはありません。
環状族が追い求めた「自分の腕で速くなる喜び」、その原点は現行Type Rのハンドルを握るたびに蘇ります。
シビックはただの車ではなく、**走ることの楽しさと誇りを未来へ繋ぐ“永遠の象徴”**なのです。
参考リンク
AUTOMESSE WEB:「大阪・環状族」伝説とシビックの関係
